私は読めませんでした(笑)
かみしきみくまのいますじんじゃ
と読むそうです。もうどこで切れてるんだか・・・
場所はこちら、いつも大好き南阿蘇です!
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実は、この神社のさらに上に登ったところに、 巨大な穿戸岩(うげといわ)というパワースポットがあるらしいので、行ってみることにしました。
道路に面したところにいきなり大きめの看板があります!特に素敵な感じはなく、田舎の神社感が漂っています。
でも、ちょっと入っていくと、すぐにいい感じの参道になります。
先ほどの道路はビュンビュン車が通っているのですが、すでに静か~な状態です。8月にもかかわらず、ひんやりとした空気です。
15分ほど登っていくと、すぐに社が見えてきますよ。
とりあえずお参りして、看板で由来を確認します。
穿戸磐(うげといわ)
神話における穿戸
古い昔、阿蘇大明神が弓を楽しみ、阿蘇山頂より矢を放たれた。
この際、大明神の従者、鬼八法師が、主人の矢をいちいち拾い来る事を面倒くさく思い、足の指に挟み投げ返した。
これに大明神が激怒し猛追され、当上色見の外輪山を越えて逃げんとしたが、この岩壁に阻害された。
この時岩壁を蹴破って逃げ去った岩穴が穿戸である。
その後、熊野社の創立は室町時代以降であろうと思われるが、次のような伝承がある。
「阿蘇大神の荒人神、石君代将軍、八葉の兜の中に出現の二神は熊野大神なりという伝説により社殿を建立するに当たり、大鳥二羽飛翔し来り神献すべき榊の枝を食い持ちて山の東麓を指して飛びゆき洞窟(穿戸) のある所に止まったので、そこに1社建立、熊野穿戸社と崇め、石君と同じく南郷の総鎮守として祭祀してきた。
歴史を背景とする穿戸
上色見外輪山下の大村地区後方に、四~五世紀頃の古墳が多く発見されている。
そこに住む住民が信仰の対象として、尊い磐·稀有な岩穴である穿戸を崇めた事が始まりと思われる。
古代人の神観念を考えると、巨石、大木、滝や山等、自然物は神が降臨して宿る依り代として考えられていた。
つまり、自然物が神ではなく、人々の崇拝を通じて自然物が神になると考えられたからである。
従って、稀有な岩穴は特別な処であり、「神気」を感じる処として、信仰の対象となったと推測される。
祭祀が営まれるようになったのは、鎌倉時代末か室町時代初期と考えられ、我々の祖先が山嶽信仰と岩石信仰とを結び付け、この地に神社を建立したと思われる。
また、この時代、熊野信仰の広がりとともに修験者がこの神社に紀伊熊野三山の伊邪那岐·伊邪那美二柱の大神を祀り、上色見熊野座神社(熊野権現)としたと考えられる。
現在も里人に、『穿戸権現』として親しまれ、崇められている事をみても、この地での「神気」に満ちた特別な場所であることがうかがえる。
さて、予備知識をアタマに叩き込んで、ターゲットの岩を目指します。
神社の裏道をそのまんま5分も登れば、このように穿戸岩が見えてきます!
あと5分登れば辿り着きます!お手軽ですが、かなり見ごたえあり!
判ります?! 人が写ってるんですが・・・ちっちゃい!!!
大迫力の岩穴です!
岩肌はこんな感じでゴツゴツしてます。
阿蘇大噴火の結果だとは思いますが、なんでこんなデカい穴が形成されたのか、サッパリわかりません。
でもね。ほんとに素晴らしい景観、大迫力の景色なので、是非行って頂きたい!
それでわっ。